学校長あいさつ
学校長の大澤宏規です。どうぞよろしくお願いいたします。
私
は毎年初に実施される大学共通テストを解いてみるのが、ここ数十年の習慣です。正直今回の出題傾向の変化には驚嘆し、背景は何だろうと考えました。詳細は
省きますが、簡潔に表現するなら「解き方よりも問い方」でした。大学レベルのテストの話しだろうと思うことなかれ、私は経験上、今後の社会(もちろん今
も)を見据えて求められる資質能力や学力観を象徴し方向性を示す羅針盤であることは間違いないと思っています。同じ感覚をお持ちになった方は少なくないは
ずです。
従来永きにわたり、学校教育においては、問題の唯一解にすばやく、合理的かつ効率的にたどり着ける、今で言うタイパやコスパ重視の能力が求められ、その育成に注力してきたように思います。ただし、時代は大きく変容し、多様で非連続、とりわけ予測困難なVUCAと称される時勢です。象徴されるのはテクノロジーの進化、とりわけAIの
登場です。前述した唯一解への到達という点では、逆立ちをしても人間はかないませんが、その力を借りることによって人間にとって有益な支援対象であり協働
対象となります。特に、視覚障害を含めた障害児者にとっては、いい時代が到来しました。使い方や諸条件によって自身の不得手さをカバーできる強力な支援・
援助のツールとなります。
チャットGPTを使って日常の仕事や学習をされている方に、うまく使えるか否かは何で決まると思うかと問うと、圧倒的多数が「質問の仕方」だと答えます。AIなんて・・・ 使えない答えばかり・・・ 求めるものが出てこないという方のほとんどは質問、つまり問い方でつまづいています。「解き方よりも問い方」の時代がもう始まっています。
「解き方は頑張って覚えてきたのに、問い方を学んでいない」ということを、中学校や高等学校で重視される探求型学習の場では、センスの良い生徒や教師が気
づきはじめています。「先生、何を調べればいいんですか?」が教室で頻発しています。そもそも何に関心があり、何を探求したいのか分からず苦しむ子が多い
のです。「私って何に興味関心があるの?」 スマホに向かって聞いてみると、AIは何と回答するでしょうか。
子
どもは元来、未知や新奇さを好みます。「えっ?」「なぜ?」「どうなっているの?」という、素朴で自然な問いを芽吹かせ、モヤモヤします。自分で気づき、
疑問をもち、模倣や試行錯誤をし、知識や情報を得、芽吹いたモヤモヤ感をクリアした先には、達成感や学びの喜びが待っています。しかも、これは更に新しい
問いを生み、次の新しい学びにつながる、つまり循環するのです。すでに到来している新たな社会は、常に自分を軸に周りに溢れる情報にアクセスし、そこから
芽吹いた問いを起点に、時間と手間を要しても、粘り強く問い続ける構えをもつことが望まれます。これは学習指導要領にある「何を学ぶかより、どのように学
ぶか」という考え方とつながっています。
こ
と盲教育から視覚支援教育という変遷の中にあっても、言語に係る良質な学びや営みへの重要性は引き継がれ、旧来から盲学校には、語りの名人とも言える教員
が多数いました。特に、見えにくさのある子どもへの教育実践は、子どもの感嘆、発見、気づき等を大事にくみとり、試行錯誤を教師が意図的に組織し、卓越し
た問いの編集力によって正答や解決に導いていく授業が全校中で展開されてきました。時代は変遷しても、子どもが自問・内省している間の停滞や沈黙を保証で
きているか、結果、先回り的に解決の方略や道筋を教え込んで満足していないか、子ども自らが得られたはずの達成感は本当にその子のものかと、教員自身も問
い続け、学び続ける主体として、課題意識をもちながら研修・研鑽を続けていきたいと想うところです。
私は以上のような思いや考えがあり、本年度は「問いの探求」をスローガンとし、 皆が問い、ともに問う学びの場へ、を教職員全員の合言葉としました。
幼児児童生徒が自ら芽吹かせた問いを受け取り、望ましい方向へと導いていく教職員の問いとは、どうあるべきでしょうか。教員なら日々の授業における卓越し
た「発問力」、寄宿舎指導員なら、自己指導能力の向上に導く「問いかけ」をはじめ、生徒指導・支援なら「代弁」、進路指導なら「促し」と換言できる、それ
ぞれの構えと実践です。さらに、本校教育を支える屋台骨である学校事務に係る職員も、より効率的かつ適正な事務執行、作業のための自問、つまり改善努力を
続ける点で構えは同じです。教育、療育、事務各領域が一丸となって、幼児児童生徒の学びと成長を支えていく、問いのプロ集団を目指します。
一年間、どうぞよろしくお願いいたします。